東京地方裁判所 昭和42年(ヨ)2212号 判決 1969年12月28日
申請人 渡辺信二
<ほか四名>
右申請人ら
訴訟代理人弁護士 青柳孝夫
同 真部勉
被申請人 有限会社後藤ナット製作所
右代表者代表取締役 後藤文司
右訴訟代理人弁護士 風間武雄
同 高橋竜彦
主文
1、申請人らが被申請人に対し、労働契約上の権利を有することをそれぞれ仮に定める。
2、被申請人は、申請人渡辺、同武藤に対し各金三、二〇〇円、同丹治に対し金三、〇〇〇円、同野地に対し金八、四八二円、同本多に対し金一、四二〇円をそれぞれ仮に支払え。
3、被申請人は、毎月末日限り、申請人渡辺に対し一ヶ月金一九、三七二円、同武藤に対し一ヶ月金一九、八一二円、同丹治に対し一ヶ月金一八、五二六円をいずれも昭和四二年一月以降、同野地に対し一ヶ月金二四、四八二円、同本多に対し一ヶ月金二七、〇二〇円をいずれも同年二月以降、それぞれ本案判決確定に至るまで仮に支払え。
4、訴訟費用は被申請人の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、申請人らの求める裁判
主文同旨の裁判。
二、被申請人の求める裁判
1、申請人らの申請をいずれも却下する。
2、訴訟費用は申請人らの負担とする。
との裁判。
第二、当事者の主張
一、申請の理由
1、被申請人(以下単に「会社」ともいう。)は、ナット等の製造を業とする有限会社であり、申請人渡辺、同武藤は昭和三九年三月二七日、同丹治は昭和四〇年三月二八日、同野地は昭和三七年三月二七日、同本多は昭和三六年三月二六日いずれも会社に入社した。ところが、会社は、昭和四一年一二月二一日限り申請人らは会社の従業員ではなくなったとして、同月二〇日以後の賃金を支払わない。
会社においては、賃金は毎月二五日締切で、同月末日限り支払われており、申請人らの三ヶ月間の平均賃金はそれぞれ主文第三項記載のとおりであり、右当時の月給の日割額は、申請人渡辺、同武藤は各金六四〇円、同丹治は金六〇〇円、同野地は金八〇〇円、同本多は金八八〇円であった。これによって計算すると、昭和四一年一二月二四日まで(二五日は日曜日)の分の賃金として、申請人渡辺、同武藤は各金三、二〇〇円、同丹治は金三、〇〇〇円、同野地は金四、〇〇〇円、同本多は金四、四〇〇円、同月二五日以降の賃金として、昭和四二年一月以降毎月末日限り、いずれも主文第三項記載の各金員の支払を受ける権利を有する。
而して、申請人野地、同本多については、退職金名下に、申請人野地は金二〇、〇〇〇円、同本多は金三〇、〇〇〇円の支払を受けたので、これを未払賃金に充当し、その残額である昭和四二年一月末日支払分の賃金(申請人野地は金八、四八二円、同本多は一、四二〇円)と同年二月末日支払分以降の各平均賃金の支払を求める。
≪以下事実省略≫
理由
一、申請の理由1の事実は当事者間に争いがない。
二、≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫
本件当時申請人本多は二〇才、同野地は一九才ないし二〇才、同渡辺および同武藤は一七、八才、同丹治は一七才でいずれも中学校卒業間もなく会社に雇傭された者であるところ申請人本多は昭和四一年五月頃、他の申請人らはいずれも同年七、八月頃組合に加入し、他の会社従業員である組合員と共に後藤ナット分会を結成し、申請人本多が分会長に、同武藤が書記長に選出されていたが、同年一二月一二日夜組合員二〇名及び非組合員たる従業員をもまじえて、分会を公然化するための大会を開き、その際、他の申請人らは執行委員に選出された。
翌一三日分会は、会社に対し分会結成の通告と共に、年末一時金等の要求を行い、折柄出張中の社長の帰京を待って同月一六日に団体交渉を行い、次回交渉は同月二二日に予定された。
ところで会社では、昭和三五年から社長の友人である安斉保三郎を通じて福島県安達郡下から従業員を採用し、年に一度は従業員の父兄を温泉に招き、その際には右安斉が世話をしたりしていたが、社長は、一二月一六日従業員には大阪へ出張すると偽って前記福島県安達郡の安斉宅を訪ね、組合ができて困っている事情を打明け、同人に申請人本多の父兄を除き、他の組合員の父兄を集めてくれるように依頼した。右依頼を受けた安斉は、翌一七日の午前と午後の二回に分けて父兄を集め、社長と共にその場に臨み、こもごも、組合ができて会社がつぶれるかもしれないので困っていること、東京へ行って子供達を組合から脱退させてもらいたいこと、このことは子弟には秘密にしておいてほしいこと、申請人本多は分会長なので、同人宅へは知らせないでほしいことなどを依頼し、汽車賃は会社が負担するということで一九日に東京へ発つこととした。
一九日には組合員の父兄二〇人位が右安斉に引卒されて、午後四時頃上野駅に到着し、旅館で休憩した後、午後一一時過に会社へ向い、予め安斉が用意した脱退届用紙をもって、会社二階の寮で就寝中のところを社長の弟である後藤新治専務と後藤武国とによって起された子弟に面会し、「組合は会社をつぶす。」とか「社長に申訳ないから組合をやめてくれ」と言って、右脱退届用紙に署名するように説得した。
その結果、申請人ら五名を除く組合員はすべて右脱退届に署名し、翌二〇日には父兄が来なかった申請人本多及び同渡辺を除く他の申請人らも、「脱退届を書いてくれないと俺は帰れないんだから。」などといって執拗に口説く父兄の情に負けて署名した。このような事情であったため、申請人らは一九日の夜はほとんど眠っていない状態であった。
翌二〇日会社は就業できるような状態ではなかったので休業とし、社長は従業員を食堂に集めて、「「不平不満があったら言ってくれ。改善できるものは改善するから。ボーナスは税込み二ヶ月分を支払う。」と言って帰った。そのあと従業員同志で協議し、ボーナスは税金を別にして二ヶ月分欲しいということになり、会社で一番古い従業員であり、通常工場長と呼ばれている(正式の職名ではないが、申請人らを含め、新たに会社に採用された者の殆んどすべてが約一ヶ月間仕事上の面倒をみて貰っていたところから、職場で通称されていた。)鈴木重吉外三名が社長のところへ交渉に行き、結局、二ヶ月分を翌二一日に支払い、税金分は翌年一月か二月頃に何らかの形で支払うということで話がまとまった。
同日午後鈴木が申請人本多及び同野地が寝ているところに来て、「本多、どうしても組合をやめる気はないのか。組合ではなく、我々で違う組織を作ってやっていきたいんだ。みんなは入ると言っているが、お前が入らないんだったら会社にもいられなくなるぞ。」ということを言ったが、申請人本多はこれには応じなかった。
なお、同日後藤新治専務が申請人本多に対し、脱退届を出した組合員の名簿を示し、「組合を脱退したのだから、これを本部へ持って行ってくれ。」と言ったが、同人がこれを拒否するという一幕もあった。
翌二一日早朝会社のまわりに組合のビラが貼ってあったために、従業員は騒いでいたが、朝礼のときに社長は、「今日はみんなも知っているように、工場のまわりにビラを貼ってあるけれども、ああいうことはいいだろう。どうせ貼るんだったら、もっと大きな紙にきれいに書いて貼ってもらいたい」と言い、更に、このビラをはがさないようにしてくれと注意した。その後社長は、先きに従業員鈴木重吉及び同照井喜代松から申入れがなされていたところに従い、親睦会の規約を決めたり役員の選出をしたりする機会を与えるために、従業員全員に食堂へ集まるように指示した。会社には従来から親睦会なるものがあったが、規約も役員も定っていなかったため、一二月二〇日頃から右鈴木らによってこれを定めようではないかということが言われ出したのである。食堂では、鈴木が中心となり、社長や専務等会社の幹部を除く従業員によって、規約が討議、決定され、役員が選出され、会長には鈴木が就任した。
その後親睦会を結成した旨の連絡を受けた社長が、食堂へ来て従業員に従業員規則、寄宿舎規則等を説明していると、電話がかかった旨の連絡があり、社長は、電話に出た後、「大変だ、銀行の融資がストップされた。銀行へ行ってかけあってくるから、みんなはここで待機していてくれ。」と言い残して出かけた。これを聞いた右鈴木は、直ぐさま申請人らに対し、「お前らが騒ぎを起したからこういうことになったんだ。渡辺信二、お前は組合をやめたのか。やめる気がないんだったら、会社にいることないからやめていってくれ。本多お前は組合を作った責任者なんだろう。責任を取ってやめて行け。」と険しい形相で語気鋭くつめ寄り、従業員照井その他一、二の従業員も「そうだ。そうだ。」とこれに和し、中には泣き出す者も出るありさまでその場は異常な雰囲気になったので、申請人渡辺続いて同本多は二階の寮になっている部屋へ上った。その後申請人丹治及び同野地も右同様に言われたため、同じく二階の別の部屋へ上った。
申請人本多及び同渡辺は、組合の本部事務所へ行って相談しようということで、着替えて下に降りようとしたところ、右鈴木次いで照井が上って来て、「お前らどこへ行くんだ。」「仕事中だから行っちゃ駄目だ。出て行くんだったら退職願を書いて出て行け。」と言い、「書け。」「書かない。」と押問答の末、再び部屋に入り、そこでも鈴木及び照井は、申請人本多および渡辺に対し「ぼくたちみたいに所帯を持っている者がこういうことになったら困るんだ。一時金をもらえるのがもらえなくなった。お前たち、労働組合を作ってこういう騒動を起し、全然責任を感じないのか。責任を感じないというのは人間じゃない。早く退職願を書いてやめて行け。」などと言った。
右鈴木及び照井は次いで申請人野地及び同丹治のところへ行って右同様に迫ったため、右申請人らは已むなく従業員野田のもって来た紙に連名で退職願を書いた。それをもって右野田が申請人本多及び同渡辺のところへ行き、「野地君と丹治君もこういうふうに書いたんだから、お前たちも書け。書けば出て行ってもいいんだ。」と言ったため、右申請人らも右退職願に署名した。なお、これを野田が後藤新治専務に届けたところ、退職願は連名ではなく、各人別個に書かなくてはだめだと言われたため、野田は申請人らに再び別個に退職願を書かせた。
ところが今度は右専務が、退職願は会社の用紙に書いたのではだめだと言ったため、野田は三たび申請人らに退職願を書かせた。
この間申請人らは鈴木や照井に監視されて、便所にまでついて来られる状態であったため、会社から出て組合本部へ相談に行くこともできなかった。
右退職願を書いた後、申請人らは、会社から出たい一心で「今日はうまいものを食いたいから表に出してくれ。」と言ったが、鈴木から「会社の食堂で食べろ。」と言ってとめられ、食事を終ってからは再び二階へ上げられたため、その目的を達することができなかった。
一方、申請人武藤は、二〇日午後父を送って親戚に泊り、翌二一日午後一二時半頃会社に帰って来たが、帰るやいなや鈴木から「このざまを見ろ。」と言われたので、何のことかわからず、その理由を聞いたところ、鈴木は経過を話した後「お前ら責任をとってやめて行け。」と大声で怒鳴った。申請人武藤が驚いて二階へ上ってみると、申請人野地は泣いており、同本多は「皆くびになった。」と言っていた。そこへ鈴木と野田が来て、紙を出して「退職願を書け。」と言ったところ、申請人渡辺が「俺が書いてやる。」と言って代筆したが、代筆ではだめだということで、結局、申請人武藤自身で退職願を書いた。
申請人らは、午後四時頃帰った社長に呼ばれて賃金の清算を受け、退職金受給資格のある申請人本多及び同野地は退職金の支払を受け、なお社長のポケットマネーから各二、〇〇〇円づつ、帰りの汽車賃だと言って渡され、「いろいろお世話になりました。」と社長に挨拶し、荷物をまとめて会社の寮から出て行った。
なお、その後、社長は従業員に対し、友人から融資を受けられることになったから、ボーナスは翌二二日に支払う旨を約束した。
三、1、右認定事実によれば、申請人らは、昭和四一年一二月二一日会社に対して退職申込みの意思表示をし、会社がこれを承諾して、右同日申請人らの雇傭契約はいずれも合意解約されたものというべきである。申請人らは、右退職願は申請人らが会社の職制である訴外鈴木重吉の強制によって書かされたものであるから無効であり、会社が申請人らを解雇したものであると主張するが、右事実によれば、申請人らがその意思を全く抑圧されたうえで右退職願を書かされたとまでは言えないので、右主張は採用できない。
2、申請人らは、本件雇傭契約が合意解約されたものであるとすれば、右合意は、申請人らの作成提出した退職願による意思表示に対する会社の承諾によるものなるところ、右退職願は、鈴木重吉らの脅迫に基くものであると主張するので、この点について考えるに、右認定事実によれば、申請人らは、申請人本多を中心として秘に組合を結成し、組合員二〇名を獲得して公然化のための組合大会を開くことに成功し、団体交渉を行い、組合活動が漸く緒についた矢先、会社の計画的なかつ露骨な組合切崩工作にあって組合は一日にして潰滅した。すなわち、申請人本多を除く組合員の父兄二〇名は、会社の指示に従って、会社の求人世話人である安斉保三郎に引卒されて、深夜郷里から上京して組合員の寮に乗り込み、各々その子弟たる組合員に対し、組合の結成は会社を潰すものであるとか、社長、安斉に対する恩義を感ずべきであるとか、何れも不当な説得ないし心裡強制を行って、一夜そこそこの中に申請人本多宛の組合脱退届を作成させて、これを会社に提出させたのである。
次いで、翌日には、会社に迎合した鈴木重吉は、組合に代るものとして、親睦団体であった親睦会を再編成し、自ら会長となり、社長その他職制を除く全従業員をこれに加入させ、完全に組合を崩壊させた上、会社と交渉して、年末一時金二ヶ月分(税金上積)の支給方に成功した。このような会社の組合干渉とその結果によって、未だ若年の申請人らが、会社内部の対人関係において、極めて困難な立場に追い込まれ、困惑してなすことを知らない心的状態におち入ったことは容易に推認することができる。ところが翌朝、申請人らは、従業員の面前で、社長から銀行が年末一時金のための融資を拒絶した旨告げられ、社長が急遽銀行に赴いた直後鈴木重吉はじめ同席の従業員から申請人らの組合結成並びに組合活動が従業員の生活をおびやかす結果に至ったものであるとの理由で、その責任を追求され、会社を退職すべきことを強く要求されたのである。このような情況の下で、若年の申請人らが不法な強い鈴木らの発言により、自ら行った正当な行為に疑問を懐き、遂には、自らが真実に不法な恐るべき行為を犯したのではないか、真実に従業員に対して責任を負うべきではないかとの畏怖の念を懐くに至ったことも明らかである。鈴木らは申請人らのかかる心的状態につけ込み、その場にいたたまらず寮の自室に退いた申請人らに追従し、寮に居ることを強制しながら執拗に退職願の作成提出方を迫ったのである。申請人らは、口頭で多少の抵抗を試みたが遂に全員退職願に署名しこれを会社に提出したのであるから、右作成提出は鈴木らの違法な脅迫により畏怖のあまり行ったものというべきである。
而して、昭和四二年一月一四日頃会社に内容証明郵便が到達したことは当事者間に争いがなく、郵便官署作成部分について争いがなく、その余の部分につき≪証拠省略≫によれば、右内容証明郵便には、申請人らの名義で、「昭和四一年一二月二一日に通知人等が貴殿に対して退職願を提出しましたが、これは貴殿の不当労働行為にもとづくものであって無効であります。したがって右同時に行われた通知人等に対する解雇処分を速やかに取消し、就労させることを強く要求します。」との趣旨の記載があり、右意思表示は、先きになした申請人らの退職申込の意思表示を取消す趣旨をも含むものと解されるので、右内容証明郵便が会社に到達した時に退職申込の意思表示は有効に取消されたものというべきである。しからば、右合意解約は右取消により無効に帰したものである。
四、申請人らは賃金のみを唯一の生活の資とする労働者であって、右退職願の提出によってその収入の途も喪失し、かってはサクション瓦斯機関製作所に勤めたこともあった(サクション瓦斯機関製作所に勤めたことがあったことは当事者間に争いがないが、その期間及び収入については何らの疎明もない。)が、現在就職していること、その他特段の事情についての疎明のない本件では、なお保全の必要性も存するものというべきである。
以上のとおり、申請人らの本件申請はいずれもその理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西山要 裁判官 島田禮介 瀬戸正義)